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尺八・和楽器でつなぐ第2回・東京オリンピック2020への熱い想い

私 石倉光山が生まれた1964年(昭和39年)は第1回 東京オリンピックの年でした。

 

両親の話によると当初の出産予定日は昭和39年10月10日の開会式当日だったらしいのですが、実際には予定よりも4日遅れで、しかもドエライ難産で生まれたきたのだそうです(汗)。

幼いころ周囲から何度も『幸一(光山)は東京オリンピックの真っ最中に生まれたんだよ』と聞かされたものの、当然ながら幼い私にはそんな記憶も思い出も残っておりませんでした。

 

物心もつき、オリンピックを観ていて衝撃を覚えたのは1976年大会でのナディア・コマネチさんの演技の軽やかさ、美しさでした。
この頃になってようやくオリンピックというスポーツの祭典の大変な重み、尊厳さを理解できるようになった私でした。

 

あれほどの祭典オリンピックが、自分が生きているうちに、まさかもう一度日本で、それも東京で開催されることになろうとは夢にも思いませんでした。

 

両親がもし生きていたら、きっと私に向かって毎日のようにこう言ってきたことでしょう。
『お前は昭和39年の東京オリンピックの真っ最中に生まれてきたんだから、
生きているうちに自分が住む町東京で、それも高校時代に毎日過ごした神宮外苑を中心に、もう一度開催されるオリンピックで、少しでもいいから尺八で携わらせて頂けるよう頑張れー』
と。

 

光山組の相棒 河野伸達と共に過ごした最愛の母校:國學院高等学校周辺の景色は新国立競技場建設へ向けて大きく様変わりし始めています。

 

2016年 國學院高等学校同窓会での演奏風景

 

 

國學院高校では、私達が在学していた頃は運動会(体育祭)を国立競技場を借り切って行っておりました。

運動オンチな私でしたが2年生の時にくじでトラックを一周する400m走を引き当ててしまいまして、、、(爆)

ペース配分を知らずスタートから暴走した結果、最後は歩くようにゴールし(汗)

同級生達から冷笑混じりの生暖かい拍手を貰ったのが痛烈な想い出となっております(笑)

今思えば国立競技場のトラックを一周させてもらえるなんて、貴重な機会だったのですよね。(^-^;

 

 

明治公園前のホープ軒です!

國學院高等学校への通学路で毎朝通り抜けていた明治公園は無くなっちゃったけどホープ軒は健在です!

高校時代からこれを食って育ちました!

^^;

 

 

 

高校を卒業後、順調に東京藝術大学へと進んだわけですが、卒業後何年経っても心が最も落ち着く場所は、四谷三丁目 須賀神社さんをはじめとする神宮外苑周辺です。

 

 

最近

『2020年の第2回 東京オリンピック 開会式で演奏するのが夢です!』
『2020年 東京オリンピックの開会式を狙ってます!』
といったコメントをあちこちで見かけます。

 

ここで忘れてはならないこと。

 

オリンピック/パラリンピックの主役はアスリートの皆さんです。

 

私 石倉光山も第1回・東京オリンピックイヤー:1964年(昭和39年10月)東京オリンピックの真っ最中に生まれてきた者として、また日本の伝統芸能を守り広める一員として、少しばかりでも光山組 として東京オリンピック2020に尺八、箏(琴)など和楽器で携わらせて頂けたなら、それはそれは大変光栄なことです。

 

第1回 東京オリンピックから56年目の第2回大会。

あのとき0歳だった私は56歳になっていることでしょう^^;