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島根県松江市への帰省記録Part-4
島根県松江市への帰省記録Part-4
2017.04.30
島根への帰省記録 その4(もう年をまたいでしまってムチャクチャ遅くなってますが 汗)
2016年8月13日 島根県帰省4日目 最終日
もちろんこの日も快晴!!!(笑
ありがとうございました。おてんとうさま!
父の生家へ自転車+電車で向かうことに。
宿泊先の松江ニューアーバンホテルさんは、この日チェックアウトしたにも関わらず自転車を気前よく貸してくださいました。感謝感激です!
次の帰省でも松江ニューアーバンホテルさんにお世話になります!
一畑電鉄。
幼少のころ以降、おそらく45年以上乗っていなかったかと思います。
松江しんじ湖温泉駅から5分1駅ばかり松江イングリッシュガーデン前まで乗って自転車を降ろし、父の生家まで1Km足らずでした。
宍道湖の北岸一帯は農村地帯で、田園と水路に囲まれた、のどかな田舎でした。
親父:石倉央山の生家へ。
何十年ぶりかに親父の姪っ子さんたちに会いました。
皆さん本当に暖かく出迎えてくださって有難うございました。
今回の帰省最大の理由は、親父の体調の悪化・高齢化と、久々に演奏した船川利夫師の名曲『出雲路』がきっかけで、島根に深く郷愁の念を抱いたことに起因します。
なかなか東京を離れられない忙しい生活をしていますが、頑張って時間を作って帰省して、こうして数十年ぶりに会っても暖かく出迎えてくれた親父の実家の皆様に熱い気持ちがこみ上げてきました。
みんなが元気なうちに、そしてあまり時間を空けずにコンスタントに松江に戻ってこようと強く誓ったのであります。
このツアーの締めくくりは自分の生家周辺の再散策でした。
松江市伊勢宮町
母方の実家:元・安兵衛寿司 跡地
右手は、かつてはスワン座というエッチ映画の殿堂でした(爆)
いとこの恵美ちゃんがやっているスナックのビル
生家から裏手に通じる遊び場への小路。
生家裏手のここが残っているとは夢にも思っていなかったので、前々日の夜におばちゃんに連れてきてもらったときも泣き出しそうだったんだけど、こうして明るい時間に来てみると50年も前の記憶が鮮明によみがえってきました。
画像まんなかの白いビルが、かつての生家。
ここの2Fの窓から、母が遊び場で遊んでいる私を見ていたのを思い出します。
家にいるときは気難しくて叱られていた記憶がたくさんあるのに、ここで俺が遊んでいるときの母は本当にやさしそうな顔で見守ってくれていました。
このトタン板の壁にはコウモリがとまっていて、本当に生きているのか信じられず、壁を蹴飛ばしたら飛び立って、周りが大騒ぎしていたな^^;
最高の晴天と酷暑で出迎えてくれた松江に感謝です!
また戻ってくる!
そして幼少のころは離れ小島だった大根島ルートで米子空港へ向かいました。
江島大橋。
これ、急こう配がすごい威圧感だったんです画像では伝わらないでしょうね・・・
昔、浦安にあったザウルスみたいなの(笑)
境港さかなセンターにて
ここまでずっと辛抱してきた岩ガキ、いきました!
鯖の塩辛も! 生臭けど美味い!
See you again!山陰、必ず戻ってくるぜ!^^
光山会・夏季合奏勉強会(ゆかた会)2017
2017.04.25
須賀神社の古木ソメイヨシノと猫のBeyonce
2017.04.22
お花見シーズンも終わり、すっかり花が散り落ちた須賀神社 神楽殿前のソメイヨシノ。
古木で、下の方の日当たりの悪いところにコケが生えており、これがまた一層雰囲気を醸し出しています。
散り落ちた花の後に、近々正体不明の実がなるものと思われますが、サクランボになることなどなく、その実は初夏になると姿を消してしまいます。
光山組のLadyGaga Telephone Cover動画エンディングに出演していた猫のBeyonce(←勝手に命名)も元気に境内をウロついています!笑
お花見と父: 石倉央山との想い出
2017.04.07
2017年、なかなか暖かくならず桜の開花も遅れ気味、、、
と思っていましたが、いざ開花してみると悲惨なまでの悪天候と突風で関東圏の桜の花は風前の灯火状態に!!!涙
(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
いま頃になって、風がようやく収まったみたいですね。
今年は桜の開花が例年よりも遅いような話を耳にしていたので、昨年がどんな開花状況だったか画像を確認してみました。
生前の親父 : 石倉央山を連れて、施設のすぐそばの桜を見に行ったのが2016年4月6日でした。
日程的には今年とたいしてかわりませんね。
(^^;)
早稲田大学 上井草グラウンドの桜が見事に美しく、親父 : 石倉央山も大喜びしていたのを思い出しました。
親父 : 石倉央山は90歳で他界し大往生ではありましたが、なんやかんやで肉親は生き続けていてくれた方が良いです。
母が56歳の若さでガンで亡くなったとき、闘病の果ては悲惨でしたが、どんなに悪くても生き続けていてくれたらな、、、と思ったものでした。